「のび太」と「炭治郎」
こんにちは、今時若右衛門 です。
先日、日本語を勉強している学生さんと
「最近のアニメの主人公はすごすぎて、全然共感できない」
という話題になりました。
確かに、昔のアニメの主人公は違いましたよね。
ちびまる子ちゃん、クレヨンしんちゃん、あるいは、のび太。
みんな基本怠け者で、お調子者で、見た目も普通です。
そんな「ダメな日常」を面白おかしく描いた作品が多かった気がします。
だからこそ、私たちはキャラに自分を重ね合わせることができました。
「あ、こんな自分でいいんだ」と安心して、アニメを楽しむことができました。
しかし、今のアニメは真逆です。
鬼滅の刃の炭治郎のように、才能があって、努力家で、性格もルックスも完璧。
そんな無双キャラ1が主人公です。
そして、彼らがとてつもない試練を超人的なメンタルで乗り越えていく。
そういうストーリーが主流になっています。
でも、現実世界にそんな超人はほとんどいませんよね。
私たちの日常も、あんな刺激やドラマに満ちあふれているわけではないし、
予想もしていない困難が訪れたら、
誰だって立ち止まったり、戸惑ったり、時には逃げちゃったりするものです。
だから、ああいう現実離れした完璧な主人公を
いまどきの若い人たちがどんな気持ちで見ているのか、とても興味があります。
もし彼らが、
「あのレベルの能力と努力がないと、人生の主人公になれない」
というプレッシャーを暗に受け取っているのだとしたら?
今の若い世代は、
ものすごいストレスとプレッシャーの中で生きている気がして、
少し気の毒に思えてしまいます。
今の時代は、SNSを開けば他人のまぶしい活躍ばかりが目に入ってきます。
この余裕のない空気感が、
あの「働いて、働いて、働いて…」を連呼する方を
リーダーに選んでしまう背景なのかもしれません。
(実際は、国会審議時間4もぶら下がり対応5も短くて、あんまり働いていないんですけどね。
エグザイル並みのパフォーマー6です。)
でも、人生って長いですよ。
輝かしいハイライトばかりじゃないのが人生、
若い時に予想だにしなかったことが起こるのが人生なんです。
実は私も、かつては仕事が大好きで、ある程度自信もありました。
「一生、バリバリ働いて生きていくんだ」って思って疑ったこともなかったです。
結婚して、子供が生まれて、子育てが大変、
というか異世界すぎて、
仕事と子育てどちらか選ばざるを得なくなり、
得意な仕事の方を辞めました。
子供ができるまで街中の段差なんて気にしたことなかったですけど
子供ができてベビーカーを押して街を歩くようになってから
バリアフリーって何てありがたいんだろうと思うようになりました。
今は自分は関係ないって思ってても、何が起こるのか分からないのが人生。
だから、誰かに優しい社会を作っておくことは、
自分のためでもあるし、
自分の子供や次の世代のためでもあるんです。
世間は広いし、人生は長い。
そんな中で誰でもいつでも完璧な炭治郎でいられる訳ではないです。
どこかのポイントで「炭治郎」になるときも、
「のび太」になる時も両方あるのが、人生なんです。
自分が「炭治郎」の時は「のび太」を助けて、
「のび太」の時は「炭治郎」に助けてもらう。
そういう社会を作ってここまで繁栄してきたのが人間なんです。
それをちゃんと理解できる、視野が広くて、器の大きいリーダーに
新しい日本を作っていってほしいな、と思います。
以下、日本語・日本文化講師 里緒♡ が本文中の語彙や背景について解説していきます♡
無双キャラ
圧倒的に強くて完璧な、敵なしのキャラクター。
♦︎ ゲーム『三國無双』のように「一人で大勢をなぎ倒す強さ」から派生。能力だけでなく、性格や見た目も完璧な主人公を指すことが多い。
例文:彼は仕事もスポーツも完璧にこなす、まさに職場の無双キャラだ。
どこもかしこも
すべての場所。あちこち。例外なくどこも(Everywhere)
♦︎中立的な表現ではなく、話し手の「あきれ・驚き・うんざり」などの強い感情が乗る。
例文:大ヒット中の映画だから、街のどこもかしこもそのポスターだらけだ。
キラキラ押し売り
「キラキラ(充実した私生活)」と「押し売り(無理に買わせる)」を組み合わせた筆者の造語。見たくないのに他人の幸せが目に入って疲れる現代のストレスを表現している。
ぶら下がり対応(ぶらさがりたいおう)
政治家などが移動する際、記者が周りを取り囲んで行う短い簡易インタビュー。
♦︎記者が政治家に「ぶら下がる」ように群がることからついた言葉。正式な会見ではなく、歩きながらや廊下で一言もらうような非公式のやり取りを指す。
♦︎高市首相のぶら下がり対応の短さはこちらの記事を参照。
パフォーマー
本来は「ダンサーや歌手などの表現者」という良い意味だが、政治やビジネスの文脈では「やってる感を出すのが上手なだけの人」という皮肉・批判として使われる。
♦︎本文中では、エグザイル並みと比喩することで、日本最上級の派手なパフォーマーであることを賞賛している。



