【人気記事】現代のマリー・アントワネット
〜自己責任論者の皆様へ〜
こんにちは、クソラテス です。
今日は「自己効力感」に関連して、
クソみたいな持論を述べていきたいと思います。
世の中では「自己肯定感」の方がよく話題にされますが、
私は大事なのは「自己効力感」の方ではないかと思っています。
自己肯定感:ありのままの自分を受け入れる感覚
自己効力感:自分ならできる、という感覚
この二つは似て非なるもの1なんです。
自己肯定感が低くても、
「今の自分じゃ足りない」という成長へのヒントにつながる場合がありますが、
自己効力感が低いと、
「自分が何をしても何も変わらない」という無気力につながってしまって、
行動を起こしたり、チャレンジすることができなくなっちゃうんです。
昔、私が日本語を教えていたお子さんの中に、
「日本語が好き。上手くなりたい。」って言って
クラスの時は真面目に勉強するんですけど、
何回言っても単語を覚えなくて、
毎週毎週振り出しに戻っちゃう2子がいたんですね。
そんで私が「日本語上手くなりたいなら単語覚えてね」っていうんですけど、
その場では謝って「次はちゃんとやる」っていうんです。
でも、またやはり同じことの繰り返しで、
結局そんなことが続いて、クラスもサボり始めて、
私にとってもその子にとっても時間の無駄だと思ったので、
家庭教師をやめてしまったんです。
その後何年かして、この「自己効力感」っていう言葉に出会った時に、
あぁ、原因はこれだったんだな、と思いました。
約束しても単語を覚えてこないのは、
自分が単語を覚えれば日本語ができるようになる
っていう感覚がその子にはなかったし、
私もその子がそういう成功体験を重ねられるように
上手くサポートできなかったな、と思います。
この「自分が努力すればできる」っていう感覚って
多くの人が当たり前にしてます。
でもこの感覚は、小さい頃から、
「積み木頑張って積めたね」とか
「お絵かき頑張ってできたね」とか、
自分の行動に関心をもってくれた人がいて、
そういった励ましが種となって得られた産物だと思います。
そういった種を撒いてくれる人が不運にも周りにいなかった人は、
自己効力感がなくて、
そうなると本当にいろんなことが厳しいんです。
自分の行動に意味を見出せないので行動そのものが消極的になるし、
行動と結果の因果関係に関する理解もあやふやなので、
どうしても行動が場当たり的3になります。
そういう人に対して、
「努力しろ」というのは本当に酷4だし、
マリー・アントワネットレベルの世間知らずだと思います。
マリー・アントワネットが、庶民が飢饉で苦しんでいるときに、
「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」
って言ったのは有名な話ですが、
「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」の現代版が、
自己責任論、自助努力論です。
自己効力感はマインドセットの一種だと思いますが、
マインドセットは人生で最大のリソースです。
そういうマインドセットをもっていて実際に努力できる人は、
本当に素敵だし、素晴らしいです。
でも同時に、運が良かったという面も多分に5あるんです。
そこを理解しないで、
不運にもそういうリソースが得られなかった人に対して、
そのマインドセットが当然であるかのように切り捨てるのは、
世間知らずの超KY6だとしか言いようがありません。
以下、日本語・日本文化講師 里緒♡ が本文中の語彙や背景について解説していきます♡
似て非なるもの(にてひなるもの)
形は似ているが、本質は全く違うこと。
例文: 「AIによる翻訳と、コンテクストを汲み取ったローカライズは、一見同じに見えても似て非なるものだ。」
振り出しに戻る(ふりだしにもどる)
すごろくの用語。途中の失敗でスタート地点(最初)に戻されること。
場当たり的(ばあたりてき)
計画性がなく、その場の思いつきだけで動くこと。
例文: 「場当たり的な対策を繰り返しても、根本的な問題は解決しない。」
酷(こく)
あまりにも厳しすぎて、思いやりがない様子。
♦︎「残酷」との違いは 「残酷」が暴力的なニュアンスを持つのに対し、「酷」は精神的な負担や、無理な要求に対して使われることが多い。
例文: 「睡眠不足の彼に、これ以上の残業を命じるのはあまりに酷というものだ。」
多分に(たぶんに)
その要素がかなり多く含まれていること。
♦︎おそらく(Maybe)」の意味ではない。
例文: 「彼の成功には、運の要素が多分に含まれている。」 「今回の決定は、上層部の意向が多分に働いた結果だ。」
KY(ケーワイ)
「Kuuki(空気が)Yomenai(読めない)」の頭文字をとった略語。場の状況や相手の気持ちを察せないこと。2000年代後半に流行した言葉。
♦︎ 現在のビジネスシーンやフォーマルな場ではあまり使われず、ネット掲示板や親しい間柄での「皮肉」として機能することが多い。
例文: 「みんなが真剣に議論している時に冗談を言うなんて、本当にKYな人だ。」
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