【AI時代】Aという側面もあり、Bという側面もある。それはいいけど、「あんたはどう思うの?」が一番聞きたいという話。
こんにちは、クソラテス です。
先日娘がアメリカで入院することになって、結構ストレスフルだったんですが、
その中で、お医者さんが色々治療方針を説明してくれるわけです。
そんで、色んな選択肢とリスク、利点を教えてくれるのですが、
このAi時代だし、かわいい娘の健康がかかっているので、
もちろんありうる選択肢はもう既にAIで事前に調べてあるわけですよ。
全部の選択肢を示してくれるのは、すごく客観的だし公平だし、有難いんだけれども、
素人の我々にとっては、担当医としての意見がほしいわけじゃないですか。
実際の患者をみてきた専門家は、世界中でその医者だけなんだから。
で、「選択肢はわかった。で、あなたは何をオススメするんですか」
って聞くと、言葉を濁すわけです。
まぁ、アメリカは訴訟社会だし、
医療訴訟なんてものすごい金額になるから、
自分自身の判断をいうのに消極的になってしまうのは分かるんですが、
ちょっと物足りないな、という感じがしました。
医者に限らず、
全ての「仕事」というものを私はすごく尊いものだと思っています。
長い人生仕事をしていく中で、
知識とか経験とか哲学が蓄積されていきます。
その知識とか経験とか哲学の中には、
Aiが文字をスクロールして学んだ情報量とは比べ物にならないくらいの
行間の血肉が詰まってるわけじゃないですか。
そこから導き出された直感っていうのは、
言ってしまえば主観かもしれないけれども
実際の経験に裏打ちされた専門性の結晶なわけですよね。
それはAiには絶対真似できないし、時代は変わっても、
むしろ時代が変わったからこそ、人間はそれを求めているんです。
なのに「訴訟リスクがあるから」という理由で、そこを共有できないのは、
その仕事に人生をかけてるお医者さんにとっても残念なことだと思うし、
患者にとっても大きな損失だと思います。
そして、「客観性」や「公平性」といった大義名分の陰で、
人間が真に求めている「血肉の通った語り」が削られる事例というのは
医療に限ったことではないと思います。
私の好きな言葉に
教育とは、学校で学んだことをすべて忘れたあとに残るものをいう.
アルバート・アインシュタイン
があります。
私は人生で何人もの素晴らしい教師に巡り会えたのですが、
その先生たちのことを思い出す時何が頭に浮かぶかっていうと、
その先生たちが教えた5文型とか三平方の定理とか、歴史の年表では全くないんですね。
そういうテストに出たことは全く頭に残ってないんです(ごめんね、先生)が、残ってるのは、
先生の一発ギャグだったり、
授業中の余談だったり、
先生の人生の話だったり、
ほぼほぼ授業とは全く関係のない部分なわけですよ。
そういうことは文科省の指導要綱や教科書には全く書いてないけれども、
それこそが学校教育後に残ったものなわけで、
学校を卒業して何年たっても、ふとした時に思い出して笑えたり、
元気付けられたり、ヒントをもらえるわけじゃないですか。
そしてアインシュタインに言わせれば、それこそが教育の価値だと。
そう考えると、教育における「中立性」っていう議論が、
教える側だけでなく、学ぶ側にとってもどれだけ馬鹿げているか、
ということが分かりますよね。
教育として、色んな見方を示すのが大事なのは分かりますよ。
でも、それで終わりなら、AIでいいじゃないですか。
大事なのは、両論踏まえた上で、教員としてどう思うか、
人間を育てるということに人生をかけてきた人間として、何を伝えたいか、
そこを聞きたいんですよ。
教える側も、教えられる側も人間なんですから。
それこそが学校を卒業してからも残るものだし、
次世代に伝わってくものなんです。
そもそもね、沖縄の平和教育って言った時にね、
沖縄戦で県民の4人に1人が亡くなった方達に対してね、
涼しい顔で「政治的中立性」とか言える本土の文科省の人間って、
どんだけ無神経なんですか?
自分が4人家族で、家族の1人が戦争で亡くなったって考えてみてくださいよ。
中立なんて言ってられますか?
あんな愚かな間違いを二度と犯さないために、
自分が実際に経験した痛みを、
自分の言葉で伝えようとしてるんじゃないですか。
その痛みや憤りは、中立や客観的な言葉で伝えられるものでもないし、
そんな伝え方をしたらまた同じ間違いを犯すから、
トラウマと戦いながら伝えようとしてるんでしょうが。
それが教育者の責任でしょう?
本当にね、私が沖縄の現場で頑張る教員だったら、
文科のお役人が涼しい顔で「政治的中立性」って説教垂れにきた瞬間に
「じゃあ、AIでも雇っとけ、クソが!」ってチョーク叩きつけて、辞めますね。
毎回、沖縄関連の、共感0のサイコパス報道@本土を見る度に、
「沖縄の人は我慢強いな」と頭が下がる思いがするクソラテスなのでした。


